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「日本人の海外旅行の現況と今後の見通し」
満留省吾氏


「米子空港の国際化への取り組みについて」
杉原弘一郎氏


 鳥取県西部地区日韓親善協会会長

 杉原弘一郎 (1942年生まれ)



1965年 愛知学院大学商学部卒業
1965年 東京印刷(株)入社
1982年 東京印刷(株)社長
1996年 鳥取県西部地区日韓親善協会会長
 その他 イマズミ印刷(株)社長
       (株)大山日ノ丸証券監査役
       米子商工会議所監事
       鳥取県経済同友会常任幹事
       米子国際線空港を実現する会専務理事

「米子空港の国際化への取り組みについて」

 皆さんこんにちは。鳥取県米子市からまいりました。米子−福岡間の飛行機が一日一便飛んでおりますので大変楽に来れました。私は佐賀県は今回で4回目でございます。今回私がお伺いさせていただきましたのは、皆さんから呼んでいただいたためで大変嬉しく思いますが、必要必然ベストであったというふうに大変喜んでおります。なぜかと申しますと、私が最も尊敬する経営の指導者の1人に佐賀大学の上原教授がいらっしゃいます。この方は海洋温度差発電で世界的に注目をされておりますが、佐賀県ではいま一つ盛り上がっていないようです。おそらく私は大変な方になられるだろうとそういう思いがしておりまして、日本全国でもこれくらいの経理論を持った方はいらっしゃいません。今度出ましたのが「創造の原理」と言う本で、その前が「成長の原理」という本で、本当に私は読ませていただいておりますし、明日はお伺いをしたいと思っています。それから佐賀には先だっての博覧会にもまいりましたし、その前には個人的な所用で福島さんという方に会いに2回ほどまいっております。そういう関係で今回呼んでいただきまして大変うれしく思います。
 私が九州に来まして大変うれしかったことがあります。一つは米子−福岡便に乗りましたら、フライトアテンダントさんがとてもいい方だったということです。冷たい美しさ、冷たい笑みではなくて、新しく就任された方でしょうかパートさんでしょうか、非常に嬉しくてたまらないという姿勢で接していただいたことがひとつ。ふたつ目はこれはとんでもなくびっくりいたしましたけれども、私は今回はギャラをいただいたのでグリーン車に乗らせていただきまして、博多から佐賀にグリーン車でまいりました。そこで女性の方が「ただいまから車内販売を行います。」ということをおっしゃいまして、その時に大変心を打ったことがありました。本当に親切に心底皆さんにサービスしようというお言葉でした。九州の女性は違うなと思っておりまして、何か買おうと思って、やがて来られましたとき「紅茶をお願いします。」と言いました。普通でしたら、コーヒーにしても、何時間も前にたてたやつで苦いなと思って飲むんですが、そのときは紅茶をその場でお湯と原液を足していただいて本当に美味しいものをいただいたんです。そして、お金を払おうと思ったら「グリーン車は無料です。」とおっしゃったんです。大変なことです。JRがお茶をサービスするなんて、しかも紅茶、コーヒー、グリーンティでも全部無料だとおっしゃいました。儲けたなあと思いました。グリーン車が1000円、東京の高い喫茶店で飲むとコーヒーが1500円、これは儲けたなあと、これはもう絶対グリーン車に乗るべきだと思いました。わずか3人しか乗っていらっしゃらなかったのでもったいないなと思っておりました。ぜひグリーン車に乗っていただければ本当にすごいサービスで、それもあの女性の親切なほほえみつき。そこで私はいっぺんに九州の人が好きなりまして、その方のことを後から投書しようと思って、お名前を控えておきました。車内販売の井川さんという方でございます。井川さんにあったらよろしくお伝えください。米子の杉原が喜んでいたとおっしゃっていただければいいと思います。それから昨日、私の友人と会いまして、彼に夜にむつごろうを食べに連れて行ってもらいました。びっくりいたしました。あの真っ黒けのむつごろうですが、やっぱり名物にはいいものがあるなあと思って、本当に必死の思いで食べました。和食どころの店で食べましたけれども、そこに仲居のスミコさんというかたがいらっしゃいます。またそこのスミコさんが素敵なんですよ。笑顔で接客をしていただいて、私は夏でも熱燗なんで、熱燗を頼みました。それで「熱燗どうぞ」と言ったら、飲めないのに無理して一生懸命飲んでいらっしゃる。その姿を見たら佐賀の女性にいっぺんに惚れてしまいました。それからニューオータニに宿を取っていただいて泊まったんですが、そこに本村さんという方がいらっしゃって、一番高い8階にしかもシングルを今日はツインにしておきましたということで泊めていただいて、大変いい待遇をしていただいて感激いたしました。全部が女性なんです。男性は何をしているのかとは思いませんでしたが、本当に九州の女性はいいですね。これは観光資源だと思います。本州とは全然違いますね。本当に心底喜んでいただこうという姿勢が見えました。私は大変な観光資源だと思いますのでこれを大事にしていただきたいと思います。
 そう申しますのは私の友人で韓国にリッツカールトンゴルフクラブという超高級なゴルフクラブの会長がおりまして、そこのリー会長が米子に来ますと「杉原さん私は米子に住みたい」とおっしゃるんです。皆生温泉で仲居さんが手を付いて「いらっしゃいませ」と言って、いたれりつくせりするわけです。その方が日本に来られてその皆生温泉に泊まったときに仲居さんの応対に痺れてしまったわけです。また来週も来られますけれども、一週間滞在で奥さんを連れてこられるということで、今日電話が入りました。あそこのホテルのどこどこに泊めてくれと、「あのサービスが受けたい」ということでございます。また、前には大山にお連れしました。そうすると大山というのは山なんですが、緑が非常に豊富で繁っているんです。韓国は占領されたときに丸坊主にされてしまって木がないんですよ。あの森林浴をこよなく愛していらっしゃる。まずそれがひとつです。韓国の人達をもてなすにはまず緑と温泉、サービスです。それからもう一つは大変にゴルフが好きなんです。なぜかというと韓国は地形上山が多いために平地が少ないんです。ゴルフ場が115か所ぐらいしかないんです。日本は2500か所ですよ。これはあり過ぎなんです。2500か所対100か所でございます。韓国ではなかなか出来ない、場所がない。しかも高所得者しか出来ないんですが、日本はいくらでもあるわけでありまして、いくらでも出来るわけです。韓国よりグリーンもいいようでありますし、そういうことでゴルフ場に緑に温泉そして人情。これに韓国の人は飢えていらっしゃいます。そういう意味合いからもっていきますと、私は韓国からの観光客をどんどん取り込めるなと思います。
 私は何故そういうことをしゃべったかと言いますと、米子−ソウル便がこんなにいいのかというのは何故かを皆さんに考えていただきたいからです。佐賀県の人口は88万人で、鳥取県の人口は62万人です。62万人で隣の島根県に1時間も行かないところに出雲空港があるわけです。それから鳥取空港もあるわけです。それで米子の国際便利用可能人口はたったの62万人、もちろん島根県が70万人で両方足せば130万になりますけれども、だいたい国際定期便を一便運行するためには150万人の人口が必要だと言われているんです。ところが出雲空港と鳥取県が競争をしたために、「島根県民は絶対に米子から乗るな」という厳しいお達しが出ておりました。米子は県境ですから隣は安来市ですから、もう島根県と一体になっているんです。私たちはどっちかというと島根県との接触が多いんです。松江、米子というのはですね。そういう間柄であるにも関わらず米子から韓国の定期便に島根県からの搭乗は2割しかない。それから米子から乗る人が6割、鳥取県の中部地区、東部地区からが1.5割、その他が0.5割でございます。さきほど満留さんがお話になっておりました、福岡とか佐賀とかは、皆さん向こうから今キャンペーンで来られる方が多いと言われましたけれども、米子の場合、韓国からは2割弱でございます。あとはこっちから全部乗ってくるわけです。向こうからは2割弱でございます。今、搭乗率がなんと驚くなかれほとんど75%をいっております。昨年の教科書問題にもめげず、テロにもめげず、日本に今24空港ですかね韓国から入っていますのは、そのなかで米子空港搭乗率は成田についで全国2位でございます。62万人の都市が搭乗率が全国2位でございます。そのおかげで1周年になりますが、1周年になるときに値上げがありそうでございます。早いですね。もう75%というと乗れないときがたくさんありまして、ちょっと失敗したなと乗りすぎたなと思っておりますけれども。そういう状況でございます。
 私が今日お話をしたかったことは、米子空港の国際化の取組みです。米子空港と申しますのは防衛庁の基地でございます。美保基地ともいいまして航空自衛隊が管理をしておる空港です。大変難しい問題がたくさんあったんです。私どもが平成元年にある情報をキャッチしました。そのときにここに書いておりますが数字が間違っておりますが、1500メートルの滑走路の延長の予算がついたんですが、ところが執行出来ずに7回流れたんです。皆さん考えられますか、滑走路が1500メートルから2000メートルになるのに7回も予算を流してしまったんです。それで防衛庁が米子空港の滑走路の延長を断念をして、北陸の金沢の横に誘致されているので、そこに滑走路を建設したいという情報が入ってまいりました。さあ、私たちは経済人にとって米子空港がどれだけ大事かということを知っておりました。当時、山陰地区には高速道路がございません。しかも新幹線もございません。なお単線の電車も走っていない、汽車が走っているという感じでございました。そういう孤島におりまして飛行場が駄目になるという情報を聞きつけました。この時に私たち経済人はまず20人ほど集まって何とかしようということから始まりました。そして、「よしやろう」ということで、何をやろうかと話し合いました時に「とにかく署名運動でもやって盛り上げようじゃないか」ということになって、とにかく集まった人間だけで署名運動を始めたんです。なんと驚くなかれ、とにかくあの時の市民の熱狂的ぶりは感激しました。10人に9人は賛成したどころではなく、100人に99人は賛成してくれました。「がんばれー」という熱い熱意の声援のもとにしてくれたわけです。段々私どもの同志がもちろん手弁当で無給でございますが100人ぐらいになって、そして2万人の署名をやろうと言ったのが、なんと8万人集まりました。その時にちょっと申し訳ありません皆さん目をつぶっといていただきたいんですが、県庁の悪口を言うんですが、今の県知事ではないんですよ。今は私たちが尊敬する片山さんという日本でもNo.1か2というぐらいの知事さんがいらっしゃいます。前知事の時に圧力が掛かってまいりました。署名運動を止めてほしいという圧力が。鳥取県営空港の鳥取空港を作られたんです。米子空港は廃止をして弾丸道路を作るから米子の方々は、鳥取に来てくれないかというお話がまいりました。ところが、それが私たちの運動の火に油を注いでいただきまして、おかげさまですごい馬力が生まれました。特に県庁から離れている町というのは、県庁に対して非常に反抗心を持っておりますので、特に火が点きまして猛烈な運動になったわけです。皆さんいいですか、7回予算が流れていて平成元年に廃止をする、8回目が流れたら終わりよというときに、私たちは署名運動で8万人をやりました。そうしたら県庁から一番に陳情して欲しいと言ってこられました。だいぶん悩んだんです。でも僕たちは滑走路が出来ればいいじゃないかと、行こうということでなんと8万人の署名を7か所に持っていったんです。これのコピー代が大変でございます。私たちが金がないのにそれを全部コピーしなければいけないんです。それもボランティアの友人たちがやってくれました。その年に陳情してすぐ決定いたしました。何ですか。今まで反対が多くて地元民が出来ないと反対しておきながら、署名運動8万人達成したのですぐに決定して翌年から工事が始まりました。そこで私たちは本当に署名運動の民意というのは大変なものだなということが分かりました。皆さん困ったらすぐ署名して下さい。この佐賀県は県知事さんが優秀で、特に企画部長さんが優秀でございますので大変皆さん恵まれておりますからそんな必要はございませんし、県と一緒にやっていらっしゃると思います。今は私たちもそういう状況で本当に県と一緒に手を取っていろんな意味で協力してやっていく。なぜかというと今の県知事が全部公平に見てくれます。そして、意欲があるところにはどんどん応援をしてくれるこんな素晴らしい知事ですから、文句なく皆さんがついていく。本当にいい知事に来ていただいた。この知事は岡山県の出身でございまして、鳥取県に2回出向してこられた方でございます。選挙運動も私たち当初からやりまして頑張った仲間でございます。そういうこともあって非常に応援をしていただいております。7か所の陳情をするときに東京に乗り込みまして、その8万人の署名を持って防衛庁と運輸省にまいりました。そして、お話を申し上げて「いいぞ、いい感触だぞ」と34名が行きました。そしてあれは東京の恵比寿というところで駅を下りまして、駅の前のスナックに掛け合いまして1人3500円にしてくれと、小さなスナックでママさんが一人でございますが、34名が5時間ぐらい大騒ぎいたしました。平成元年ですから14年ほど前です。今私が59歳ですから14を引きますとだいたい年齢が分かりますよね。私もまだ元気なころですから、赤穂浪士の四十七士ではないですけれども、大騒ぎをいたしまして帰ってまいりました。そしてそのあと私たちは詳しいことはまだ申し上げられませんが、2000メートルでは困るという条件を付けました。その時に私たちはどうしても国際空港にしてもらわなければいけない。国際空港にするには2000メートルでは大きな飛行機は飛ばないんです。2500になってもジャンボがまともには飛べない。ジャンボが荷物を積まないとかそれから燃料を半分にするとかしたら、わりかし遠方まで行けるんですけれども満足ではないわけです。どうしても2800メートルはいるわけであります。とにかく3000メートルをその当時いろんなところでお願いをいたしまして、運輸省と防衛庁の方々との最後の詰めのときに3000メートルを主張させていただきましてその時に裁定が下りました。2500メートルで我慢しろという偉い方の一言がございまして、よしいいぞと平成元年にまだ1500メートルであるにも関わらず2500メートルの言質を取りつけまして、見ていただきますと1996年に2000メートルの滑走が使用開始になったにも関わらず、すぐ2000年12月に米子空港滑走路2500メーター化の新事業着手が決定。この着工するまでにはアセスメントとかいろんなことがいりますので、今その事業がやっていらっしゃいます。鉄道の地下化とか道路の地下化とかいろんな環境アセスメントがいりますので、平成15年度開始予定でもう着工しております。こんなに早く出来たというのは、非常に県の努力もありますし知事さんも優秀でありますから、特別動かれたということもあるんですが、そういう最初の署名運動がある程度の役にたったなあということを申し上げたいと思います。
 それからその年にすぐ滑走路が決まったものですから、私は今度は国際定期便を飛ばそうという運動をやろうと。その時は調子に乗っているときでございましたので、「米子空港滑走路延長を実現する会」の組織を変えまして、すぐに「米子国際線空港を実現する会」に衣替えをいたしまして運動に着手いたしました。1990年12月に「米子国際線空港を実現する会」を発足。そして1992年アシアナ空港をチャーターして韓国に乗り入れたわけです。その時に防衛庁は軍事基地への外国機の乗り入れは認められていませんでした。ところが世の中の流れでもありましょうが、最初認可するのはこの「私たちの米子空港国際線を実現する会におろしたい」と「あなた方は政治的背景もなく本当にこの空港地域の為を思って運動していらっしゃるボランティアであなた方に一便を開放したい」という話がございました。美保基地指令からありがたいお言葉でございましたし、そしてその時に1992年にアシアナ航空にお願いをいたしましてチャーター便を飛ばしました。席はすぐにいっぱいになって私たちは韓国にまいりまして韓国観光公社とか、航空局とか大韓航空、アシアナ航空など全部一斉に陳情してまいりました。今回の米子−ソウル便の決定は、あくまでも鳥取県知事の踏ん張りがんばりによるものでありますが、しかしながらその時にこういうことがあったんです。アシアナ航空では社長をはじめ役員が待機して積極的な協力を約束してくれました。本社は、今は、仁川の近所に移りましたけれども、当時の本社ビルからつり下げられた「米子−ソウル間初国際チャーター便フライト」という垂れ幕には全員が大変感激いたしました。その時のパクサングーさんという社長が、今では副会長ですけれども、米子−ソウル便を決定してくれました。「米子やれー」とおっしゃっていただきました。それからその時に大韓航空の国際部次長からは、希望があれば6月に購入するF100航空機2機を8月から毎週でも投入するというお話をいただきました。当時日本の小型機には余裕がなく100人乗りの小型機をチャーターに利用できると聞いて、天にも昇る気持ちでした。帰国後すぐに旅行会社に情報提供し8月から頻繁に便が飛び出したんです。実はなかなかチャーター機を飛ばすにも、たとえば米子市政何十周年であるとか、空港設立の何周年であるとかそういうイベントがないと全日空とかJALさんとかJASさんとかはなかなか聞いてくれません。機材が余っていないんです。本当にその当時苦労いたしましたが、5月に大韓航空に行きましたら、6月から飛行機が2機入るのでそれを回してあげるということで、100人乗りでございました。それを回してもらうということで韓国便がどんどん飛び出したという経緯がございます。
 それから私たちが取り組みましたのは、韓国との交流を盛んにしようと、とにかく民間交流をやっていこうということで、まず私たちがやりましたのはお茶の交流、裏千家の青年部にお話をしたところ乗ってきまして、青年部が100名、日韓親善協会が40名で140人乗りの飛行機でございましたから、それをチャーターいたしまして釜山に飛びました。その時にお茶のあずまやとかお茶の道具屋さんから、韓国の水が悪いと聞いておりましたので大山のふく流水を持っていく計画を立てました。皆さんご存じないと思いますが、大山は主に生えている木がブナなんです。ブナという木は横に非常に根が這って、保水力に富んでいる水に最高な木なんです。それが大山に繁っているんです。そこに雨が降りますとブナが水を満々と蓄えてくれる。それが地下に浸透して、地下に浸透しますと大山の地下は岩盤になっております。それで岩盤に当たりましてアルカリになるんです。石はアルカリでございますので、そのアルカリになった水が300年掛かって米子の水源地の辺に下りてくるわけでございます。私たちはその300年掛かって下りてきたふく流水を飲んでいるものですから、お水になったらとてもうるさいわけです。本当においしい水を毎日飲ましていただいております。人口が少ないですから空気がいいです。産業がないわけですから。今日聞きましたら竹村健一さんが、佐賀は開発が遅れて良かった。これだけ広大な土地が残っていると言われたとお聞きいたしましたけれども、鳥取県はもっと遅れておりまして大変に空気はおいしい。そして水は300年前のふく流水を、しかもアルカリの水を飲んでいます。そんなところに私たちは住んでいますからそんなにこの自然を貰ってありがたい。水がありがたい。空気がありがたい。15分も行けば皆生温泉。15分も行けば大山。そして15分も行けば境港。海から海水浴からスキーから全部に恵まれております。そういう意味でお水がおいしいわけであります。その名水を持っていく計画をしましたところ、飛行機からそんな大きな荷物は乗せられませんと断られました。私たちは考えました。カンプフェリーを使おうと先発隊を出しまして、トラック2トン車で2台。下関まで先発隊を出しまして10人ほどですが、そこから海を渡って資材を持ち込んで、私たち本隊は飛行機で釜山に向かった。釜山ジョッシ大学で茶道博物館というのがございまして、私たちはその時はびっくりしたんですが、なんと茶道博物館は400数十年前の韓国のお茶を復元しておりました。抹茶というのは全部韓国から入っているんですよね。まあ中国からもありますが、それで原形がちゃんとあったわけです。その茶道博物館で韓国のお茶、日本のお茶をやったわけです。日本のお茶は日本に入ってきてからは、わびさびが取り入れられ非常におとなしいお茶でございます。韓国のお茶というのは音楽あり、踊りあり、鳴りものあり、書道あり、大変にぎやかなお茶であります。お茶は一緒でございますが、その交互に発表会をやりまして、1200名の学生が飲んでくれました。それからヘイウンデイという観光地に行きまして、ホテルでまたお茶会をやってそして帰ってきました。そういたしましたら物凄い反応でございまして、釜山から今度は釜山女子専門大学が米子でお茶の講演をやりたいという申し出がございました。釜山女子専門大学の1200名が飲んでくれたから、米子でも1200人やりましょうということで、てんまやで300人のホールを借りまして、2500円のチケットを出しまして、一回300人しか入りませんので、4回講演をやりまして1200人の方々に、韓国のお茶と日本のお茶を味わっていただきました。そういうことがもともとの交流の始まりであります。
 それからヘイウンデイと米子市のある団体が姉妹提供をいたしました。その時に私たちが紹介した、和紙のちぎり絵というのがあるんです。皆さんご存じありませんか。あれは米子市で発明されたんです。だいたい米子に本部がございまして、全国に広めている。その先生方を釜山にお連れしたわけです。そうして向こうでちぎり絵をやりましたら、向こうで非常に熱心な方がいらっしゃって日本に来られて何とか韓国にも広めたいということで、米子から先生が行かれ、こうしているうちになんと驚くなかれ釜山に今8か所のちぎり絵教室が開かれております。もう私たちの手を離れてしょっちゅう行ったり来たりしております。日本の家元ですからその方が行って、向こうで教えているという提携が出来た。それから今度はパク大統領が健在のときにパク大統領の奥さんがお作りになった、ソウルに禮智院という学校があるわけです。禮智院の校長先生は東京オリンピックの時のアナウンサーでありまして、韓国人でありますが大変日本語が上手であります。往時の宮田輝さんと一緒に司会をされた人が今校長先生でございます。その方から韓日文化交流協会を作りまして、20周年を迎えたということです。そこは礼儀作法あるいは文化あるいは食事等の守っていく韓国の伝統をずっと伝える為の学校でございます。大統領になった方はそこに行っていろいろな礼儀作法を習うわけであります。そこの学校から20周年で米子に是非来たいという申し出がありまして、私たちはすぐにお呼びして米子の公会堂で1100人の皆さんをこれも2500円取りましたけれども、いっぱい集めてそして禮智院の「韓国人の一生」の公演をやりました。今度は禮智院から来てほしいと言われ、よし分かったということで私たちは日本の文化団体を組織いたしまして、禮智院に行きまして発表会をやらしてもらいました。それからこの間平成12年ごろでしたでしょうか、李方子さんと言う方がいらっしゃいまして、この方は李王朝の最後のお嫁さんでございますけれども、この方は日本人なんですが明治天皇のお孫さんでございまして、お嫁に行かれてご主人を早くに亡くして、昌徳宮という宮殿に住んでいらっしゃったんですけれども、今度行ってみたら見てください昌徳宮。景福宮なんかよりよっぽどいいところであります。昌徳宮で韓国の身体障害者とかそういう恵まれない子供達の為にものすごく貢献されたわけです。韓国の国民からすごい慕われております。その方の追悼10周年があるので、日本代表で来てほしいということで献茶式をやらせていただきました。リトルエンジェルス会館で大変な人を前にして私たちもそこで披露させていただいたり、それから先日は束草市の民間団体と姉妹提携をさせてもらって、その私たちの交流を通じて今度は少年柔道大会を8月に行いますし、今度、鳥取県で国民文化祭が、今年の10月に開かれますので、私たちを通じて100人の自転車隊を派遣したいと、国道をパレードしたいという申し込みがきまして今困っています。警察の許可が難しいものですから。その他、今、柔道をやっていますけれども、今度は空手の交流をしたい。あるいは江原道束草市というんですが、束草市の方からは今高校の提携が一つ出来たけれども、中学校、小学校がしたい。そういう申込みが来ておりますし、それから境港の市長さんから依頼されまして、どこか港町と姉妹提携をしたいという話がきております。私たちはいろんな交流、野球もやっていますし、それからグランドゴルフもやっております。いろんなことを通じて民間交流を盛んにしております。おかげさまで鳥取県の猛烈な協力がございますし、各市町村も頑張っておりますし、修学旅行も昨年は15校出ております。残念ながら15校修学旅行が出ましたのに、定期便に乗りましたのが2校でございます。13校は岡山から行ってしまったわけです。それはなぜかと言いますと2泊3日という予定が合わないということと、たくさん乗れないということです。140人しか乗れないのに一般のお客さんと学生が乗ってしまったらどうしても乗れない。しかも75%という搭乗率がありますと、なかなか乗れないということもあります。今年は何とか改善しなければいけないということで、例えばこういうことが考えられます。定期便ですから、バスなんかご存じでしょう。1便が出たらすぐ次が出るということが出来るんです。私たちは去年それをやろうと思ったら出来なかったんです。それはどういうことかというと、片山知事が非常に熱心にそのソウル−米子便を急がれたということで、CIQの人員不足の為にチャーター便、増便については一切応じられないということでまったく駄目だったんですけれども、今年はあの知事が獅子奮迅の活躍をされまして、4名のCIQの増員を今年は決まりまして、これでも米子空港は土曜日も日曜日もあるいはチャーター便も、それから今度はいっぱいになったら増便が出来るんです。そういうことで今年は修学旅行を15校のうち半数は取りたいとこうおっしゃっております。修学旅行の為に今度日にちが変更になるんです。今までは月曜日出発で水曜日に帰ってきて、水曜日出発で金曜日に帰ってきて、土曜日に出発。2泊3日、2泊3日、2泊3日でしたが、今度は月曜出発の木曜日に帰る。木曜日出発の土曜日に帰る。土曜日出発の月曜日に帰る。ということで1便が3泊4日になるわけであります。これは修学旅行対策でありまして、そういう団体客を乗せるためにそういうことをして、後は乗れないときには大型便に変えるか、増便をするということで、今年は柔軟に対応していただけるというような方向でございます。
 ということで順調に今は行っているわけですが、そのなぜ順調なのかということは、県を始めとして官民の耕しといいますか、非常に交流が盛んで、あっちこっちの交流が毎日の新聞に山ほど情報が載っているわけです。たとえば私たちも話を漏らしましたけれども、例えばこういうこともやっておるわけです。韓国のゴルフ場と米子のゴルフ場の姉妹提携を今2組お話を進めて、今1組は出来ました。もう1組は進めております。それからお互いに会員の価格でやろう、そして交流をしよう、それで年に1回は大会をやろうと、こういう交流の韓国と米子のゴルフの姉妹提携。これは日本側のゴルフ場がいくら韓国に行っても出来ません。韓国は少なくていつも一杯なんです。ですからこれは非常に大変な作業ですが、今回はリッツカールトンの会長が米子の地を涙を流して喜んでいただいた。 こんな所と姉妹提携をしたいということで、リッツカールトンの2つのゴルフ場と米子の2つのゴルフ場とが姉妹提携を結びました。いろんな民間同士の姉妹提携をしていく。そして行ったり来たりする。そういう本当の意味の国際交流が出来たら国際定期便は可能性があるんです。今一番問題はソウルと佐賀を結びましても、後の耕しが出来ていなかったら1年間すればボツになってしまうわけです。
 私はずっと佐賀を見させていただいて、米子よりよっぽど条件がいいですよね。今日は吉野ケ里に行きましたけれども、あれはもともと韓国を通じて入った文化でしょう。あんな大きなものがあるし、とにかく佐賀県というのはいい財産があるなと見させていただきました。今度は鳥取県に妻木晩田(むきばんだ)という遺跡が出まして、おそらくこれも国立歴史公園になると思いますが、これも吉野ケ里に匹敵するものだと言われております。弥生の時代のそういうものが出てきましたけれども、私は山陰が一番韓国と交流があったのかと思ったら、とんでもない話ですよね。今日吉野ケ里に行っていろいろ見させてもらったらこちらの方が本家だと思いました。すみません。この中でA型の血液型の方は手を上げてみて下さいますか。ちょっと少ないですね。あの韓国はA型が圧倒的に多いんです。山陰地方は全国まれにみるA型が多い地区なんです。昔から交流があったということがそういうことで裏付けられております。佐賀空港を見せていただいて、あのロケーション、あの広さ、なんぼでも大きくなりますよね。それから私はここは今日は指山会長さんが九州には3つの滑走路があると思えばいいじゃないかと言われました。まさしくそのすごいいいことだと思いますけれども、私は九州国際空港は当然佐賀にあってしかるべきだという気がいたしました。これは皆さんが全力を上げてここに県域なんて関係ないですよ。いわゆる福岡から佐賀まで40分でしょう。こんな条件のいいところにこれだけのロケーションのところに空港がある。これは使わざるをえない。しかもあれだけ広大な土地が眠っておって、いくらでも使える。しかも、気象は安定している。欠航は年に1回ぐらいしかない。これは勿体ないですね。なんとか皆さん発奮してくださいよ。私はもちろん行政も頑張らなくてはいけませんけれども、米子の例で今日言いたかったのは、だって駄目になるのを私たちは立ち上がって署名運動をしたんです。そこから物事が動きはじめた。やってくださいよ。私はこれだけのものを眠らせておくのは勿体ない。だからたとえばどんどん目標に向かって思ったことは必ず実現するんですから、たとえば鳥取県は在日する韓国人の方が1500人でしたか、2500人でしたか分かりませんがいらっしゃいます。非常に多いんですが、おそらく佐賀にはもっといらっしゃるような気がします。米子の人口は14万人です。佐賀は17万人でしょう。米子よりも人口が多い。佐賀県も人口が多い。ただ強敵の福岡空港があるために非常に勢力が向こうにいってしまうということなんですが、私はそれは地域の皆さんの情熱と行動でクリア出来ると思います。あとは皆さんがどうされるか。本当にこの空港を生かそうと思ったら、官民上げて九州の国際空港はここにしてもらおうという意気込みで動いてもらわないといけません。韓国便は官民そろって動けば必ず出来ます。それはどういうことかというと、仁川国際空港の滑走路が今2本です。これを4本にいたします。4本ですよ、関空なんて目じゃない。しかも料金は関西国際空港は1兆5000億掛かっているんです。中部国際空港はトヨタが入って民間方式でやっていて、同じものが同じ条件で7500億なんですよ。仁川国際空港は関空の10倍あって滑走路2本作って3750億なんですよ。勝てるはずがないじゃないてすか。これが規制の壁でございます。日本は何をやっても出来ない。韓国は大統領命令ですぐやれるんです。強権発動が出来るんです。私ども負けては悔しいんですがとりあえず、先程言われましたスポークにならなくてはいけないですね。ハブでは勝てない。ですから仁川国際空港を利用して世界に飛び立つ。今米子が非常にいいのは、米子−ソウル(仁川経由)−ベトナム、仁川経由−中国、仁川経由ー香港、仁川経由−タイと沢山の路線が走りだしました。もう完全にスポークになってしまったんです。ですからこれからの搭乗が認められますので、値上げということが出てきておりますが、なんとかこれは阻止しなければならないと思います。そういうふうにして、私たちは本当にこの交流を通じて乗る人を増やしていくという地道な運動をしております。私たちは私たちでやっております。
 次に私たちが目指しているのは台湾、中国この辺に飛ばしたいですね。私たちは最初にチャーター便を韓国に飛ばしまして、次は中国に飛ばしました。なぜ飛ばしたかというと米子は軍事基地の為に、資本主義社会の飛行機は認めてくれましたが、共産国の飛行機は認めない。これにはかなりの壁がありました。これを私たちは防衛庁と一生懸命折衝をして、やっぱりあなた方のいうことは聞いてあげる。あなた方に最初に出してあげたいということを言っていただきまして、平成6年に中国便を計画いたしました。それで計画いたしまして、詐欺にあいかけまして挫折をいたしました。中国がよくやる手なんですが、お金を払い込ませておいて飛行機便をキャンセルする。お金は返せないですよね。それが全国で多発していたわけです。私たちはそれを知らなかったもので、「お金をくれ」「お金をくれ」とえらい言うなと思いました。まだ防衛庁からの正式な許可が来ていない。CIQからも許可を貰っていない。送れ送れと矢の催促です。お金は皆さんから3泊4日で19万8000円集めておりまして、人はすぐ集まったんですけれども、送ろうかどうしようかとだいぶん迷いましたが、やっぱり最終的な結論が出てから送ろうということにしましたら、案の定、米子空港は飛行場が1500メートルの為にパイロットが怖がって行かないと言っているので、キャンセルすると言ってきたんです。お金を払っていたらキャンセルですからお金をまるまる取られていたことになります。すぐ警察が来ましてお金を取られなかったかと聞かれました。「なんで教えてくれなかったのか」と言うと、事件が起こらないと言われないとおっしゃるんです。キャンセルになったので来てみたということでした。それで「お金を取られていないか。全国で多発しているんだよ」ということを、済んでからおっしゃったんです。でもお金を払っていなかったので助かりました。今度はJTBにお願いしようということで、JTBにお願いして平成8年に飛ばしました。今度は飛びましてきちんと中国に行ってまいりました。それで中国便も今米子空港から共産圏も飛べるようになったわけです。
 皆さんの県営空港と違って非常に難しい面がございます。防衛庁という壁がございます。だけど反面いいことがあるんです。成田空港並みの体制が引かれているんです。防衛基地ですから24時間体制、しかも管制塔は美保基地が全部やるわ けです。それで地域のその辺の空港は全部美保基地の管轄にあるわけです。そして雪が降れば自衛隊が待機していて、すぐにサーとやってくれますし、気流も安定していて稀に見るいい空港だということで就航率も佐賀空港と一緒であります。非常に恵まれたいい空港でありますが、国の問題がありますから皆さんご存じの外郭団体が非常に邪魔をいたします。空港整備財団ですか、金を取らないとけしからんということで有料化されてしまった。その駐車場が有料になったんですね。財団の人を食わしていかなければならない。退職金を払わなければいけない。そこでまた県知事の英断で、県が全部借り上げて毎年すごいお金を払うんですが無料化になりました。おかげさまで無料化になって対等に戦えるというような状況であります。
 最後のまとめでございますけれども、佐賀県には温泉がございます。しかも人情味は抜群。そしてゴルフ場もございます。緑もあります。そして韓国人が来られて最初のショッピングは電気店でございます。そして次に行きたいのがスーパーであります。まず行きたいのがそういう電気店、スーパーそして温泉、ゴルフあるいは山。そういうのを兼ね備えた立派な空港でありまして、現在24ヶ所の日本の空港に韓国から飛んでいるんです。スポークを作るために。いまなら情熱を持って当たれば飛んでくると言っております。ただし、搭乗率を責任を持ってくださいよと、下がればすぐに撤退しますよということであります。とにかく佐賀空港はまず第一発目国際化の為に韓国とやっていただきたい。韓国は今そういう飛んでくる体制を持っております。ここを九州の国際空港にしていただければ嬉しいなと思います。益々のご発展をお祈りいたしまして本当に内容的にはふつつかではございますが終わらせて頂きます。ありがとうございました。

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