佐賀商工会議所の創立とその母体
01 大隈重信の提言から始まった創立構想
大隈重信ゆかりの地・佐賀に、地域経済を支える組織を――。
現在の佐賀商工会議所の前身である「佐賀商業会議所」は、明治29(1896)年9月29日に設立認可を受けました。その契機となったのは、同年4月に大隈重信が約30年ぶりに帰郷した際の出来事でした。4月28日、佐賀市北堀端の大坪家で開かれた地元実業家との会合において、大隈は「佐賀と実業」と題する演説を行い、佐賀経済の停滞を憂いながら、「地域が発展するためには、商業会議所を設立し、実業家が力を結集すべきである」と強く訴えました。この演説が、佐賀における商業会議所設立の大きな原動力になったと伝えられています。
02 地元実業家による設立準備
創立に向けて中心となったのは、当時の佐賀市長・永田暉明や地元の実業家たちでした。百六銀行頭取の中野致明ら24名が発起人となり、さらに深川文十、田上徳十郎、西村為助、原口良輔らが創立委員として準備を進めました。幾度もの協議を重ねた末、明治29年8月30日、農商務大臣へ設立認可申請書を提出。同年9月29日付で正式認可を受け、10月6日に認可指令が交付されました。その後、会員選挙規則や創立費予算などの整備を進め、翌明治30(1897)年2月1日、佐賀市役所において初めての会員選挙が実施されました。
03 初代会頭に原口良輔を選出
選挙により30名の会員が選出され、同年3月27日の会員総会では役員選挙が行われました。初代会頭には原口良輔、副会頭には西村萬次郎が選ばれ、佐賀商業会議所は本格的な活動を開始しました。また、商業・工業・理財・運輸の4部門を設置し、地域経済の振興や商工業者の課題解決に取り組む体制が整えられました。
04 創立を支えた地域経済人ネットワーク
当時の記録には、「佐賀商業会議所」の直接的な母体組織は明確には残されていません。しかし、地域の豪商や米穀商らによる経済人ネットワークの存在が指摘されています。その一つとして挙げられるのが、伊勢神社を支援していた「伊勢講会」です。米穀商を中心とした実業家たちが結集し、地域経済や神社維持に協力していたこの組織には、後の商業会議所発起人の多くが関わっていたとされています。 また、「佐賀実業連合会」と呼ばれる実業家団体の存在や、江戸時代から続く商人同士の結び付きが、会議所創立を後押ししたとも伝えられています。こうした地域経済人の連携と志が、佐賀商業会議所誕生の礎となりました。
05 大隈重信が語った「佐賀再興」への思い
大隈重信は演説の中で、「佐賀人が目覚め、事業を興そうと思うなら、総合力を固めなければならない」と述べ、地域の実業家が団結し、商業会議所という組織を通じて地域発展を目指す必要性を説きました。さらに、全国の商業会議所が連携することで、国政にも大きな影響力を持ち得ると語り、地域経済団体の重要性を強調しています。
大隈重信の演説概要(明治29年4月29日付 佐賀新聞)
佐賀県人は意気に乏しい。県庁の前は草ぼうぼうであるか、深川、伊丹の両家に行ってみれば豪奢をきわめている。公のことは放置して、私のことをはかっている。この事実は人が眠っているか、県民が眠っているかである。汚れた絹ものよりも木綿でも清潔なものがいい。これを見てもこれまで佐賀人が何をしていたかということである。ここで佐賀人が目ざめ事業を興そうと思うなら総合力を固めなければならない。それにはすすんで商業会議所を設ける準備に着手することである。これが佐賀に有力な商業機関を興えることになる。商業会議所は一地方の勢力のみでなく、全国の商業会議所が一致して運動するなら、政府を操縦することも容易である。
※参考資料 『佐賀経済のあゆみ』(佐賀商工会議所/昭和41年9月29日発行)