≪参考 大筑紫経済圏発展のための方法論≫


 ここまで説明してきた「大筑紫経済圏構想」とそのシンボルとしての有明佐賀空港の「国際空港」化との間には、次のような複雑系の「ポジティブ・フィード・バック」の考え方にもとづいたデザイン力と実行力が重要な要素となる。
 なぜならば、これまでの20世紀的な合理主義の思想のもとでの政治的発想や社会学的アプローチ、新古典派経済学的政策によっては、過去の趨勢・トレンドが重要視され、それ故に福岡一極集中礼賛型の政策結果しか期待されないからである。しかし、歴史的経験としては「産業革命」や「明治維新」そして「諸国の革命」のような「歴史の飛躍」や「新しい時代の到来」を予想するには20世紀的な合理主義の思想は説明力を持つ学問体系ではないことは事実であり、その限界は広く認識されているのである。このような方法論的反省のもとで、複雑系の方法論が種々の学問の中で論じられているのである。「佐賀地域」と「筑後地域」が、あるいはこの「大筑紫経済圏構想」の優位性はこのような新しい科学的方法論である複雑系によって計画・設計される必要があるのである。


 

1.複雑系
 複雑系(complex system)の概念とは「多くの要素があり、その要素が互いに干渉し、何らかのパターンを形成したり、予想外の性質を示す。そして、そのパターンは各要素そのものにフィードバックする」ということである※15
 通常、経済社会を分析する際、経済学者は基本的に「社会システムは安定している」ことを前提に分析する。これはエージェント間のネガティブ・フィードバック(negative feedback;システムは基本的に不安定しており、小さな差はやがて消えて均衡するという考え方)の関係を前提としている。しかし、株価暴落、為替変動、バブル、商品の「ロックイン」、ウィルスや細菌の蔓延などのようにシステムが均衡から大きく乖離し、予想もつかない振る舞いをする場合、ポジティブ・フィードバック(positive feedback;システムは基本的に不安定で均衡から離れようとする仕組みであることから、小さい差異や効果が自己強化、自己組織化し大きな差異をもたらすという考え方)の関係があり、分析方法の見直しが必要となるのである。

※15 サンタフェ研究所(1984年設立)は複雑系の概念(自己組織化するシステムの研究)を研究するNPO組織である。サンタフェ研究所の創設者の一人であるマレー・ゲルマンによると、複雑系科学とは、「多数の構成物が同時に相互作用することから生ずる『自己組織化』の予測、つまりシステムの構成物が相互作用する無数な状態を計算すること」である。「複雑系」は「新しい知のパラダイム」であり、新しい理論ではない。ここで、パラダイムとはトーマス・クーンが『科学革命の構造』の中で用いた用語であり、「物の見方の基本的枠組み」、「物の考え方の基本的発想」と定義することができる。それ故に、「複雑系」によって、(1)複雑な市場経済についての新しい「法則」(law)が理解できることはない。(2)不確実な市場の未来が「予測」(prediction)できない。(3)消費者の潜在ニーズが「分析」(analysis)できない。(4)ヒットする商品が「設計」(design)できない。(5)企業の最適な「管理」(control)ができない。あるいは、(6)「複雑系の知」は東洋思想においては直観的に把握されていると説明する人もいるのである。


2.複雑系の経済学
 経済学はいま、収穫逓減の世界(たとえばローテク産業)と収穫逓増の世界(たとえばハイテク産業)とを同時に説明しなければならない時代にある。
(1) 収穫逓減の法則(law of diminishing returns)とは、生産・販売が大規模に日常的に反復的になるという意味で「繰り返し」の世界であり、穀物、家畜、工業薬品、食品、小売商品などのローテク産業がその例である。そこでは継続的改善・絶え間ない最適化が可能である。品質向上・コスト削減努力が合理的な世界である。
  それは標準的な商品と価格が存在する世界であり、収穫逓減による均衡状態への収斂が予想される世界である。市場価格は平均生産費用まで落ち込み、そしてやがて完全競争の状態という市場均衡状態に到達すると想定される世界である。
  しかし、この世界においては変化は存在せず商品・製品は固定化する傾向がある。それは、計画・制御・ヒエラルキー構造によって特徴づけられる素材・加工のようなローテク産業における最適化の世界である。
  均衡状態への収斂は物事の進め方の固定化であり、完全合理性とは最適化・合理的行動の過程、商品を作り続け、出荷を続け、品質を向上させ、コストを抑えることである。 そのために、物事を管理・計画する人々と機械の操作を担当する人が必要になり、ヒエラルキー(階層構造)が生まれるのである※16
(2) これに対して収穫逓増の法則(law of increasing returns)の世界では、ある市場において技術的に優劣を付けがたい商品が複数あるとする。初期の些細なアドバンテージによってある一つの商品が「収穫逓増の機能」によってその優位性は拡大し、その製品・企業なりのテクノロジーがその市場に「ロックイン」する場合がある※17
 収穫逓増産業においては、製品を創出する費用(up-front costs)はコンピューター・ハードウエア、ソフトウエア、航空機・ミサイル、電気通信設備、バイオ薬品、その他のハイテク製品などのように単位コストに対するR&Dコストが非常に大きい知識主導型の産業である※18
 収穫逓増が支配する世界においては、ある産業でのポジションを拡張しながら、隣り合った市場を次々に包囲し、そこに自分のユーザー層を移していきながら、最後にその市場を乗っ取るという方法である。
 この世界ではゴール・方法論を再創出する必要があり、観察・ポジショニング・フラットな組織構造、ミッション、チーム、戦略性、心理学・認知、適応の世界である。収穫逓増産業の世界では流動的な商品・サービスと絶え間ない変化が必然となるのである※19
 また、この世界においては、多様な制度が多様な経路依存性によって生成する。すなわち、現在の制度・市場などが、歴史的な経路によって規定されていること「経路依存性」(path dependence)を認識することが必要である。それは「限定合理性の世界」であり、完全合理性が存在しない世界なのである※20

※16 この均衡状態への収斂を予定する世界とは福岡一極集中を是認する世界観であり、そうではない世界こそが大筑紫経済圏を可能とする世界観の背景にあるである。

※17 「ロックイン」(lock-in);固定化の例としては、ビデオ機器のベーター対VHS、あるいは都市の集中、自動車の右側通行(米国)と左側通行(イギリス・日本)などがある。

※18 例;ウィンドウズの最初のディスク開発に5000万ドル、二番目以降は3ドルである。(2)ネットワーク効果(network effects)顧客は一度マスターした機材、設備を利用し続ける。ロックインの可能性

※19 そのような世界で勝ち残るためには、ゲームがどんなゲームになるかを見抜く能力が必要となる。ビル・ゲイツの勝利はDOSをロックインして、ウィンドウズをロックインして、そしてwindows95をロックインしたことにある。

※20 いかなる状況でも「人間は定義されない状況に置かれている」。それ故に、完全は求められない。「これで満足だ」、このシステムは「かなりうまく行っている」。人間はパターン認識に優れており、ある状況に対して多くのパターンを検証する。生産志向ではなく、「ミッション志向(mission;自覚的・自律的に実行するべき任務)」になり、単なる機能分担や役割分担を求めるヒエラルキー(階層構造)ではなくなる。


3.複雑系と社会・経済構造の変化※21
 以上で説明した複雑系の分析を前提とするわれわれが提案する「大筑紫経済圏構想」における社会経済変化は、次のようにデザインされることになる。

※21 「複雑系の知」とは、世界に対する「認識の深化」であり、「知の成熟」である。「単純系」(simplicity)に対する「複雑系」であり、「まず対象を単純な要素の集まりへと分割し、その後、分割された要素を個別に詳しく研究し、最後に、それらを集めればよい」というような20世紀的な「機械論的パラダイム」に対する意義である。このような「要素還元主義的方法」では研究できない対象を総称して「複雑系」というのである。この「複雑系」は全包括主義と生命的世界観を二つの柱とする「生命論パラダイム」である。

 

(1) 全体性の知(wholeness knowing)
 事態は「分析はできない洞察せよ」という考え方で推移する。この地域が複雑化することによってこの地域独特の新しい性質を獲得するのである※22
 これまでの「分析」とは、対象を研究しやすいサイズの小さな部分に「分割」し、それぞれの部分の性質を詳しく調べた後、これらを「総合」(synthesis)することによって、対象の全体的性質を理解する方法であった。この対象を分割するという作業のたびに、大切ななにかが失われることになる。
 「佐賀県は福岡市よりも人口が少ない」。「佐賀は農業地域である」。「佐賀は福岡経済圏である」。「嬉野は福岡の奥座敷である」。「有明佐賀空港は赤字である」。という情報をどれだけ分析しても佐賀全体は洞察できないし佐賀の将来はデザインできないのである。このように「総合」と「分析」は「同根」であり、同じ限界を有していると考えるのである※23
 世界は我々から独立して客観的に存在しているわけでもなく、また、その世界の背後に、絶対不変の普遍的法則が存在しているわけでもない。生活者の視点からの将来に対する戦略的政策論が必要なのである。

※22 例として、水の三態(水蒸気・水・氷)や細胞・組織・器官・臓器理性的個人、あるいは群集心理的集団や消費者個々の行動と市場の同行との関係が説明される。

※23 それ故に、「学際的アプローチ」は「組合せ」以上の内容を獲得しない。それは「デカルト的パラダイム」の呪縛なのである。

 

(2) 創発性の知(emergence knowing)
 この地域を「設計・管理するな」、この地域全ての要因の自己組織化を促せ、個の自発性が全体の秩序を生み出すのである※24
 すなわち、個々の個人・企業・行政の自発性による行動が、結果として、全体の秩序を形成するという現象を説明するのである。たとえば、経営者がなすべきことは、望ましい組織を設計することではなく、望ましいプロセスを活性化することである※25
 経済学・経済政策論としては、「市場の均衡」よりも「市場の進化」を論ずるべきであるということになるのである。

※24 この創発性の智の例として「birdoid;バードイド・シミュレーション」が説明される。
 たとえば、以下の3つの行動法則に従うようにデザインすると、バードイドはあたかも「集団の意志」があるかのように、一定の秩序だった群れを形成することが説明されるのである。(1)近くの鳥が数多くいる方向に飛ぶこと、(2)近くにいる鳥たちと飛行の速さと方向を合わせること、(3)近くの鳥や物体に近付きすぎたら離れること。

※25 これは東洋思想の「自然」の概念に近いものである。

 

(3) 共鳴場の知(coherence knowing)
 地域の人々と「情報を共有」するのではなく、それぞれの地域の人々と「情報共鳴」を生み出すことが自己組織化を促すのである※26
 「情報バリアフリー革命」とは地域の雰囲気が開放的になり、地域の人々の自発性が高まり、協同作業が円滑化していくということである。この情報共有のプロセスにおいて「データ」だけではなく、生きた言葉で語られる高度な「知識」や言葉にさえもならない深い「知恵」を共有し、さらには共感をも伝えていくことによって、人々の間に共鳴が生ずる「場」が生み出されるのである。この場こそが「大筑紫経済圏」である。

※26 平衡状態においては、分子は隣の分子だけを見ているが、非平衡状態においては、分子は系全体の分子を見ている、そして、これらの分子がコヒーレンス(coherence;干渉性・共鳴場;多数ノ分子ガ一斉ニ動ク性質)を起こしたとき、自己組織化が生ずるのである。

 

(4) 共鳴力の知(resonance knowing)
 ミクロのゆらぎがマクロの大勢を支配する※27。これは、企業の規模と総合力をもって価値とみなす「大鑑巨砲主義」時代から他企業と比べて明確に差別化できる競争力をもっているか否かが深く問われる「コア・コンピタンス」(核心的競争力)の時代に変わるということである。組織の総合力ではなく、個人の共鳴力が企業の力であるということである。同様に地域の人々と企業群の共鳴の力がこの地域の力であるということになるのである。

※27 これは「バタフライ効果」と呼ばれ、「北京で蝶が羽撃くと、ニューヨークでハリケーンが生ずる」というような例を使って説明されることがある。

 

(5) 共進化の知(co-evolution knowing)
 経済圏構想は、「トップダウンでもなく、ボトムアップでもない」、行政が指導するわけでもなく、民間が依頼するわけでもない。「部分と全体は共進化する」のであり、個々の人々と個々の企業が全体として共進化するのである※28

※28 この共進化の例には、地球上に誕生した生物が、その地球の環境を数十億年の歳月をかけて変え、生存に適した環境を形成していった過程として説明される。

 

(6) 超進化の知(meta-evolution knowing)
 「複雑系とは進化系である」そして、「進化のプロセスも進化する」その進化の過程では「法則は変わり、そして変えられる」のである。「大筑紫経済圏構想」の進化の過程が進化するのである。

(7) 一回性の知(onceness knowing)
 一回性の知とは、法則とは繰り返しであり、複雑系においては、「絶対的な法則は存在しない」のである。それ故に「進化の未来は予測できない」。すなわち、「未来を予測するな、未来を創造せよ」ということになるのである。


4.複雑系による社会・経済構造の変化を誘導する政策
 「複雑系は非線形」であり、「プロセスの進化」が生じ,「 進化のプロセスも進化する」のである。それ故に「大筑紫経済圏構想」に対する「認識の相対性」が重要であり、「未来の不確実性」を理解しなければならない。複雑系の進化の過程では人々の間の「認知フィードバック」が重要な役割を果たし、「鏡進化」(mirror evolution;未来の自分を現在に映し出しながら進化する)のである。
 このような経済政策という戦略における最も高度な判断は、一回性を前提とした、きわめてアーティスティック(芸術家的)な判断である。提案者は予測を語るのではなく、彼の意志・希望・夢を語ることが重要なのである。
 未来を予測する最良の方法は、それを「発明」することである。明確なビジョンに基づく「市場創造」を行なうこと、そのためには計画するのではなく、デザインすることが重要なのである。客観的な手法よりも「ビジョン」や「目標」などの主観的手法が重要なのである。地域の市民に指令するのではなく、皆さんを説得することが重要なのである。そのためにはこの地域の潜在力を認識することが重要なのである。この地域のその潜在力とは「九州倭国」という歴史が説明しているのである。

 

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